Caffè mocha おかわり3杯目

年相応な女性として普通に生きています。

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トランスアメリカ

トランスアメリカ

トランスアメリカと言う映画を観ました。
性同一性障害の父(MtF)と不良息子の
新たな親子関係を築き上げる為のロードムービーと言うべきか?

下劣なシーンが各所に盛り込まれるも、基本淡々と物語が進行します。
ただ、観ていると意外に引き込まれるのです。
とは言え、GID視点で観るとウンザリする映画でもある。

お決まりのGID用語を並べ立て
GIDはこうあるべき
男の体を嫌う素振りや狂気じみた発言の数々
こんなやりとりを見せられると正直ウンザリします。
ウンザリすると言うことはつまり私らの日常だから。
思うにGIDではない方がGIDの日常を知ると
たぶんこんな滑稽に見えるのかな?っと思うのです。
そんな日常を織り交ぜつつ、父と子の物語が始まります。

trans1411.jpg

父である性同一性障害者のブリー、別れた妻に息子が居た事を知るのだが、
その知らされ方が尋常ではない。
もう時期、性別適合手術を控えるブリーの元に一本の電話が入る。
麻薬所持で息子が居るので引き取りに来て欲しいとの事、
留置所から身元保証人として初めて父と会う息子のトビー。
だが、お涙頂戴のシーンではなさそうだ。
最初は親子であることを隠すブリー、気持ちは分かるが、
この事がかえって後々の話をややこしくする事になる。

初めて会う息子に戸惑いを見せつつも徐々に接近する父ブリー。
方や初めは父とも知らず、世話好きの女性と思って接していたトビー。
話が進むうちに女性が男性だと言うことを知り、
その男性が父だと言うことを次第に知ることとなる。
しかし、この過程において、トビーの心情の変化は意外にも
それ程重要視されずサラリと描かれているのが分かる。

でも、お互いが大きな傷を持っている仲であり、
ここに力を入れすぎるとストーリー(人生)が崩壊するのでしょうね
上手い事寸止めでまとめていると感じました。

ここで注目すべきは、手術したい一辺倒の父トビーの心の変化でしょう。
芽生えた親心に苦しむ様は、やはり親としての愛情も感じられます。

性同一性障害云々を多く語っている映画の割に
その部分が一番脆弱と感じる創りだったかな。
この映画の隠れた主題は、親子間の修復にあるように思えます。
題名のトランスアメリカのトランスを期待する映画では無いですね

でも、それで良いと思います。

世の中にそう言った事で苦しむ家族は多く存在します。
私もまたその中の一人と言っても過言ではない。
トランス云々もいいが、最後に残るのは人との繋がり、
この映画は、そんなGIDの盲点を開眼する上でも
GID自身が一度は観ておくべき映画だと感じました。

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プルートで朝食を

プルートで朝食を

この映画を見終わって最初に思ったこと、
『次々に降り掛かるどん底に不幸な状況を笑える主人公』に
とても違和感を覚えた。

普通なら見習うべきことなのだけども、最後はそこまで無理しなくてもと思える。

これは性同一性障害を抱えた主人公、パトリック通称キトゥンの物語。
だが、性同一性障害で悩み苦しむ姿はほとんどない。
いや、深層心理の相当奥の方に潜んでいるのだろが表に出そうとはしない。
それよりも目立つのは彼女(パトリック)を取り巻く環境と
そこから起きうる不幸の連鎖が話の主題となる。

どうしてここまで不幸を取り込むのか?
己から引き込む事も度々あるが、不幸からパトリックに寄って来る場合もある。


BREAKFAST ON PLUTO


<ストーリー>
親から捨てられた乳飲み子のパトリック(キリアン・マーフィー)は、リーアム神父(リーアム・ニーソン)に助けられブレイデン家の養子になる。美しく中性的な青年“キトゥン”へと成長したパトリックは、アイルランドの田舎町では浮いた存在だった。あるとき、自分は孤児だと知ったことで、実の母(エヴァ・バーシッスル)を探す旅に出る。

アイルランドとイギリスの文化と歴史、
また、主人公の時代背景も視野に入れておくと話も分り易い。


とにかく生まれた時から不幸の神がパトリックには憑いている。
そう思わせる環境と己の世界観。

少年期の女の子になりたい兆候は、女装を始めた時からぶっ飛びの連続で、
義理の姉の服で女装をしてこっぴどく怒られるのだが、
悪びれる事無く笑ってごまかすパトリックの姿は、
正直、根っからの変人にも思える程だ。

きっとそれが彼の逃げ道であり、不幸を笑いに変える事で
自身を防御しているようにも感じた。

時代は青年期に入る。

実の母を捜す旅で道中色んな人間に出会う。
だが、どいつもろくでもない奴らばかりでその都度パトリックを裏切る結果となる。
時には殺されかける事あり、一度や二度では済まない命のやりとりに
観ている方はいい加減ウンザリもする。

でもね、主人公はそんな事があっても、常に何でもなかった様に振る舞うんだ。

ある時、テロリストの爆破事件に巻き込まれ、
被害者であるパトリックがアイルランド人と言うだけで
容疑者として尋問を受けるのだが、これがまた酷い。
だが、話をはぐらかす主人公に警官も最後は根負けし、無罪放免となる。

しかし、パトリックはそんな生活の方が自分に合っている素振りを見せる。
困惑する警官。

結果、警察署を無理矢理放り出されるのだが、
後に、これだけ酷い尋問をした警官と仲良くなる場面がある。
唯一、まともに人間扱いされる主人公。
中にはきちんとパトリックを見ている人もいる事に少々の安堵感を覚える。

これだけ言ってもネタバレにはならないかな・・・
不幸の連鎖は要所要所に多く存在するからね

最初にも言ったけど見終わって、もやもやとした違和感があるせいか、
泣ける場面もあるのだが、そこまで自分を追いつめなくてもと感じた。

不幸なの?
幸福なの?

どっちよコレ?

ある人が言った。
嫌われ松子の一生みたいだねって

なるほど・・・

私はどちらかと言うと
キンキーブーツぽい感じがしたけどね
あれも逆境に立ち向かって行く良き映画だったなぁ

そんな逆境好きな人にはきっとたまらない映画だと思います。

あまりGID映画とは言えないかな?
でも、プラス思考のオカマを目指すならば良い参考書になりそうだ。

キリアン・マーフィーの妖艶さと熱演は最高!
それだけでも観る価値はありそうです。



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わたしはロランス

わたしはロランス

「彼は、女になりたかった。彼は、彼女を愛したかった。」
ある日の事、ネットを渡り歩いた時にそんなキャッチコピーが目に飛び込んで来た。

これはいったい何だ!?

そう思った私は躊躇なくそのブログに入ってみる事にしました。

映画か・・・
どうやらここは公式ページにも飛べるレビューページのようだ。

『わたしはロランス』名前がタイトルって、この人の物語なのかな?
早速、ストーリーが書かれていたので拝見してみる事に

監督は、現在24歳の グザヴィエ・ドラン と言う
この歳で既にカンヌの常連らしい、
3作品を手掛け全てカンヌ映画祭に出品された経緯を持つ。

その撮り方にも注目が集まる。

人の顔ばかり大きく見せる手法は、それだけにその者の表現力を増す。
でも作中の人間の毛穴まで感じてしまうのはどうなのか?
その場面で顔大きいのはいらない気がするけど・・・
など、賛否が分かれるところでしょう。

また、芸術性にも優れている。
色とりどりの服が空から降る場面は圧巻です。(観たい)

これだけ聞いただけでも凄い若者だと言うのが伝わって来る。


**********ストーリー**********

彼は、女になりたかった。
彼は、彼女を愛したかった。
どこにも行けない"愛"に果敢に挑戦するふたりの、
とても"スペシャル"な、ラブストーリー。


laurence_anyways_03.jpg


モントリオール在住の小説家で、国語教師のロランスは、
美しく情熱的な女性フレッドと恋をしていた。

30歳の誕生日、ロランスはフレッドにある秘密を打ち明ける。
「僕は女になりたい。この体は間違えて生まれてきてしまったんだ」。
それを聞いたフレッドはロランスを激しく非難する。
2人がこれまでに築いてきたもの、
フレッドが愛したものが否定されたように思えたのだ。

しかし、ロランスを失うことを恐れたフレッドは、
ロランスの最大の理解者、支持者として、一緒に生きていくことを決意する。

メイクを教え、女性の服装で生活すべきだと促すも、
モントリオールの田舎町で生活するのは困難がつきまとう。
あらゆる反対を押し切り、自分たちの迷いさえもふり切って、
周囲の偏見や社会の拒否反応の中で、
ふたりはお互いにとっての"スペシャル"であり続けることができるのか…?
(公式ページより抜粋)

********************************

えっ、待って・・・

こ・これって!?

これってウチら夫婦の話じゃないか?

ちょっと興味あるかも

それにこのポスターの絵、引き込まれるとても素敵だ。

こう言う話に飢えているだけに、気分は既に観に行くモード。
興味を持った私は、妻を誘い早速休みの日に観に行く事にしました。

場所は渋谷のアップリンク(UPLINK)と言う劇場。
渋谷の繁華街からちょっと離れたところでスクリーンはミニシアターのようだ。
画面サイズは、今時の4:3(スタンダードサイズ)で
当然だけど家のテレビで映画観てる気分です。

番号札を持たされ順に映画を観る場所に詰め込まれる。
つまり速い者順ってことね
30席かな?6席×5列中、なりゆき的に真ん前で観ることにします。

程なくして映画が始まる。
そして私はその中の一部となった。


『何故ロランスは女になりたかったのか?』
(ここから先ネタバレ注意)

この映画の主人公は劇中では詳しくは紹介していないが、
今で言う性同一性障害者(通称GID)である。
つまり私と同じ。

80年代から90年代を舞台にした映画なので
まだその辺の定義が確立していな時代を背景としている。

当然、主人公は自分がそんな条件を持つ人間であるなど分るはずもない。

劇中で主人公が取った行動がある
私も同じ年代を生きた人間なので主人公の行動が痛い程分るし、
当然、自分も同じ様に生きて来た。

つまり"自分を偽って生きる"こと
自分は頭がおかしな人間と思っているからこそ修正しようと努力するのである。
男で生きる努力をする。
男らしく生きる事で直そうと努力をする。
体が男で生まれ、心が女側にいるなど常人と呼ばれる多数者には
全く理解出来るはずもないでしょう。
そんな時代だもの
当然相談者など周りには誰もいない。
例え自分と同じ人間が居ても気がつかないでしょうしね

ロランスは女になりたかったのではなく
生まれた時から女だったが、体がそれとは異なっていただけ

では、女であって女を愛すると言うことはどう言うことだろう?
これまたビアン的指向のみに特化したかのように思えるが、
性同一性障害の場合、そうとも限らないので話がとても複雑なのです。

性同一性障害とは単一的な恋愛対象で片付けられるほど簡単なものではない。
多分、複雑な条件下で生活せざる終えなかったことで
導き出された結果とも思える。

結局、生活をする上で男とか女とかではなく
家族として愛することはもちろんだけど
"夫"として"妻"として当たり前の様に愛する家族愛なんだと私は思う。
これって、どんな条件下であっても普遍なんじゃないかな?

これはGID視点だけど
これに妻がどう応えてくれるかで結果が違ってくる。
妻も同じ様に夫を男ではなく夫として愛せれば良いだけのこと

しかし、世の中そんな簡単には済まないのである。
それがこの『わたしはロランス』の中で語られている。

ちなみにここではロランスとフレッドは同棲生活をしていて、
お互いが結婚しているとは語られていない。
が、ほとんど内縁の妻的存在でフレッドが描かれている。

『フレッドはその時どう思っていたのか?』

映画の前半は、そんなロランスの心の葛藤と
フレッドの苦悩にスポットが当てられる。

冒頭でロランスは、フレッドにカミングアウトをする。
性同一性障害と言う概念が無かった時代。
まだ変人扱いされて当然の時代にロランスはフレッドに
自分と言う人間を語るのである。


TKY201309130315.jpg
「僕は女になりたい。この体は間違えて生まれてきてしまったんだ」。

カミングアウトされたフレッドは怒り、悲しみ、そして悩み苦しみます。
理解出来るはずもないので当然の結果でしょう。
しかし、ロランスのフレッドに掛ける愛はなんら変わることが無いことに
フレッド自身が気づいた時、ロランスの良き理解者になろうと努力する様になります。

化粧の仕方を教えるなどロランスを分ろうとするフレッドだが、
未だに割り切れない気持ちと日を追う事に変化していくロランスに気分も滅入ります。

女性として社会に徐々に溶け込もうともがくロランスは酷い差別を受け始めます。
そして、ついには暴力沙汰になりキズだらけになって帰って来るロランス。

そんなロランスを見るのが辛くなるフレッド、
立ち寄った昼食の場面でウエイターに冷やかされたロランスを見て
ウエイターに向けて発狂するフレッド。

でもね、思うにフレッドは単にウエイターだけに気持ちをぶつけたのではなく
このロランス達を取り巻く社会全体に苛立ってもいたのだと思います。
差別と言う大枠の中でキズつくロランスを見てられなくなったのだと感じました。

後に、私の妻もその場面でブワッと涙が溢れたとのこと
妻自身とフレッドの気持ちがオーバーラップしたんでしょう。
まったく同じ気持ちだったと思うと聞かされました。

私はその時、ロランスがオロオロしていた気持ちが良く分かった。
これ、ほんとウチと同じだもの

日本じゃここまで露骨に差別は受けないが、
オープニングで人の視線ばかりを注視した場面があるのだが、
これ即ち常人が得体の知れないものを見た時にとる行動を表現しています。
それぞれが、見て見ぬ振りをするが何かを含んだ表情浮かべている。

そう、これが当事者にとってとっても痛いのである。
差別と言うより奇異的なもの蔑視的なものに近いのかもしれない。
日本ではこちらがメインでしょうね

多分、あきらかにパス(見た目女にしか見えない)していれば
何も見ず、何も感じない視線、いや視線をも飛ばさないでしょう。
私も始めのうちはこんな感じで視線が痛かったのを覚えています。
何処でと言うのは避けておきましょう。

さて、中盤の作りはロランスが女として社会に溶け込み
そこで差別を受けながらも果敢に前に進もうとする姿と
フレッドの複雑な気持ちに焦点が当てられています。

その話に進む前に・・・
ロランスの母との確執も大事な要素として描かれています。
こちらを先にお話しておきましょう。

『今のロランスを作ってしまった家庭環境とは?』

性同一性障害者って何故生まれるか知っていますか?
それは未だに完全には解明されていません。

今、その候補の1つとされるのが
『身体的性別とは一致しない性別への脳の性分化』らしいです。

これは母の胎内、つまり胎児期に心身共性差が形作られるのですが、
通常脳は身体的性別と一致します。
それが、"何らかの要因"によって身体的性別とは一致しない脳を部分的に持つことにより、
性同一性障害を発現したものと考えられるらしいです。

何らかの要因?

このほとんどが当事者の家庭環境にあることが多いです。

母が妊娠し産み落とされる期間、特に胎児の脳生成時に
母親に降り掛かる災難により引き起こされる事が『要因』ともされています。

家庭不和
ショッキングな事故
母体の病気
戦争や災害による影響

まぁ戦争や災害で死者が多数でると必ずと言って良い程、
その時期の生まれる子供は女の子が多数生まれるのも
こういった人知を越えたものが影響しているからこそなんだと思う。
人の意志や常識とは別に環境で左右されるもの
そう考えると不思議ではないよね

その辺の因果関係は素人の私には分りませんが、
ロランスの家庭も一筋縄な家庭ではない内容で描かれています。
家族に無頓着で家では自分の世界でしか生きれない父親。
テレビ命の父に声を掛けようものなら邪魔者扱いされるのが良い例です。
母親もほぼ共依存化しており、ロランスに十分な愛を注いでないのが分ります。

一見して外見からは普通の家庭に見えるロランス一家、
しかし、父も母もロランスが苦しんでいるのに耳を傾けようとはしません。
ロランスもそれを知っているからこそ
父母に対し、一歩身を引いた対応を取っているのが伺えます。

やはり昔からそうだったんだろうね

この家庭ならばロランスが生まれる以前も母親の心は荒み切っていた
そう感じさせる一見普通に見えるダークな家庭として描かれています。

後半、母の心の変化に注目したい。

共依存で父に服従の姿勢だったロランスの母、
心身共ボロボロになって母の元へ返って来たロランスを目の当りに見て
やっと子供(ロランス)の助けを求めるサインに気づきます。

父が大事にしている大型のテレビを投げ飛ばし
その父が呆然としている中、ロランスを連れ外に逃げ出します。

やるな母!

正直、ロランスの家庭は、私より恵まれていると感じた。
現実はもっと過酷だから
ここだけは若き監督、描き切れていなかったように思えます。

さて、話を軌道に戻しましょう。

その後、ロランスとフレッドはくっついたり離れたりを繰り返します。

その背景には、ロランスが学校での立場を失い、
会社をクビになったことも含まれる。
応援する先生も居たが、校長は世間体(親達の視線)を選択し、
結果、ロランスをクビに追いやったのである。
(ここ最後の場面でキーになります)

また同時期、ロランスの子供をもうけたフレッド、
心身共に衰弱し切っていた彼女が出した結論は別れることだった。
ロランスに身ごもった事も告げず、彼女は旅立つ。
自分から身を引くことで、お互いが不幸になる
泥沼の様な生活から脱したかったのだと察します。
(この場面後半でキーになります)

そのフレッド気持ちが分るだけに何も知らず我が道を行くロランスに
殺意を覚えた観客は多いと思う。
後に一般の方のレビューを見せてもらったが、
やはりと言うか当然の流れでロランスの我がままだと思われているようだ。
普通の人にとっては、体と心の違和感など
取るに足らない問題にしか思えないと思う。
なってみないとどれだけ苦しいかだなんて理解しようが無い
至極当然の結果でしょうね

『恋の逃避行その先にあるものとは?』


その後、子供の未来を案じ普通の男性と結婚したフレッド。
何不自由のない"平凡な毎日"を送り、
とてもとても退屈な日々をおくるフレッドが窮屈に描かれている。
一方のロランスは自身の詩集を出版する程の有名人になっていました。

時代も次第に移り変わり80年代から90年代に向かう辺りから
2人の間には昔とは違った感情が見え隠れするのが感じられます。

2人と言うよりはフレッドの変化に注視したい。

相変わらずロランスはフレッド一筋で
別れたフレッドに自分の詩集を贈り気持ちを伝えます。

その詩集の中身は分りませんが、
あきらかにフレッドの思いが詰まったもののように思える。
ある暗号が書かれていた。
フレッドにしか分らない暗号。
言葉遊びが好きだった2人だからこそ分ったのかもしれない。
しかし、一歩間違えればロランスのストーカー行為でしかない危ない遊び、
フレッドの家の白い外壁、レンガの1つをピンク色にするいたずらだ。

何年も別れていたがちょくちょくロランスはフレッドの家を訪れ
黙って車越しに遠くからフレッドを観察していたのである。
これはストーカーの域を超えているかもしれない。
何ヶ月とか言うレベルではない。
子供の成長過程も見れる程何年もフレッドを一途に思っていたのだ。
だだをこねても別れたくないロランスの気持ちが
ここに凝縮されていると思って良いだろう。

そんなロランスの気持ちを詩集で知ったフレッド。
フレッドもまたそんなロランスの気持ちに共感し、
逢いたい気持ちで一杯になります。

早速、彼を受け入れ、主人が居ない家にロランスを招き入れます。


2014_01_18_16_47_22.png
(この時のロランスの心からにじみ出る様な幸せな笑顔が忘れられない)

満たされない生活にフレッド自身も割り切れていなかったのでしょう。

そんなロランスとフレッドが
恋の逃避行をする場面があります。
まるで夢の様な世界の中、2人は再び深く愛し合います。


001-1.jpg


この辺の場面が見せ場でしょうか、
芸術的にも美しいと思えるカットが数多く目に飛び込みます。

ロランスの知り合いにロランスと同じ経緯を持つ性同一性障害者の
FTM(♀→♂)男性と女性のカップルがいるのですが、
彼らに会う為にフレッドは退屈な生活から抜け出し
ロランスとの逃避行の末、彼の地まで訪れました。


002.jpg


ロランスとフレッドがこのFTMのカップルの話を聞いた辺りからでしょうか、
2人の気持ちにある変化が生じるのが分ります。

フレッド自身に性同一性障害に対する偏見があることを発見する場面、
これは何を意味するのか?
フレッドの中で性転換に対する嫌悪も感じ取れます。
だとすれば当然の流れとも思う。
また、恋の逃避行がロランスの愛人からフレッドの主人に伝えられバレた事で
フレッドがあたふたと慌てる場面の中、ロランスと口論になります。
慌てていたせいかフレッドがとんでもない事で口を滑らせます。

「あなたと分かれる前に子供を下ろした」と

それもロランスに内緒です。
これが事実だとすれば、あの子供は今の主人の子?

それを聞いたロランスは愕然とします。

この逃避行でロランスとフレッドの価値観がまった違う事に気づきます。
ロランスはこのまま一緒にまた暮らさないか?的なノリ。
それに対しフレッドは、ほんの出来心、火遊び的なノリ。

それが子供下ろし発言でハッキリしたのは言うまでもありません。

ここ、誰もが勘違いしていたのではないでしょうか、
現在、フレッドの子として成長している子供はロランスの子と思って見ていたが、
実はその子は今の主人の子供でロランスの子では無い。
(観ている観客も騙されていたようだ)

そもそもがロランスは今のフレッドの子が元より自分の子だとは思ってはいない。
何故ならフレッドはそれを知らせずに別れたからだ。
ロランスの子をはらみ、ロランスに知らせずに下ろし
そして別れたことになる。

何の為に?
フレッド曰く、あなたとずっと一緒に居たいから
??
本当にそうなのか?

子供の未来を考えて?
お互いの幸せの為に?

結論から言えば惨い話だけど『世間体』なんだと思う。
何をするにも世間体。

「あなたとずっと一緒に居たいから」

嘘ではないが矛盾にも満ちている。

結局は自分の為なのか・・・?


この辺り、私的にもう1つ違う面からも検証したい。

ロランスは子供が欲しかったと考えていたら?
当然愛する人の子供、フレッドの子である。

子供=ロランスの愛の結晶
ロランスにしてみれば「あなたとずっと一緒に居たいから・・・」より
愛の結晶を何故?と思ったに違いありません。
ロランスは劇中(以前)「君に必要なものは全て与える」と言っている。
それはいくつかの対象があり、その中に子供も含まれていただろう。
ロランスの中では子もフレッドに捧げる愛の形だったのかもしれない。

しかし、下ろした切っ掛けを作ったのはロランス自身にある。
そのような方向に導いてしまったロランスの非は大きい。
つまりフレッドの罪はロランスの罪でもある。
それが分ったので見ていていたたまれなくなった・・・

これ、そもそも論にも通じる。

そもそも『女』と思っている人間が『父』になるなんて
私は父になろうがなるまいが、全てを受け入れる覚悟があるのなら
どちらでも良いと考えている。
でもね、現実はそんなに甘くはない。

ここには色んな思いが詰まっていそうだ。


次の日、ロランスは泊まっていた宿から忽然と姿を消し、
フレッドの前から立ち去ります。


005.jpg


それから数年後、舞台はモントリオールに戻り、
アメリカに渡ったロランスが戻って来た辺りから話が再開します。

ロランスの表情が違う。
女に磨きを掛けたから?
イヤ、もっと何と言うか"吹っ切れた"感とでも言うのかな?

再びフレッドと会えるようフレッドの妹に今の所在を聞く、
どうやら今の主人と別れたらしく、子供と2人暮らしのフレッド。

普通ならこの流れ、寄りを戻すのか的な流れに見えそうだが、
2人がいざ会ってみて何となく空気が重い事に気がつく

結局、顔を合わせれば口論となる。
毎度の事だ。
だが、今回は何かが違う。

突然、ロランスが核心に迫る発言をする。

「自分が女性にならなくても、いつかは別れていたのだと思う」と

ロランスはその事についてフレッドに何度も答えを求めるが
フレッドは答えず話を止めるよう促すが、ロランスは話を止めようとはしなかった。
いたたまれなくなったフレッドはトイレに行く振りをして出て行ってしまう。


20131112232307.jpg


今までのフレッドなら口論が続くように思えるのだが、
それに対し反論もせず出て行ってしまうと言う事は、
つまりこれはフレッド自身もそう感じていたのかもしれない。

ロランスは慌てる素振りも無く
かも当然と言う表情でフレッドが逃げたであろう裏口から
同じ様に店を後にする。

そう、これはロランスの決別なんだと思う。
核心をつかれたフレッドは結局答えきれず逃げてしまったのだ。

これまでは、
フレッドは今を生き、
ロランスはフレッドの亡霊を追いかけ生きていた。

そして今、
フレッドは変わらず今を生き、
ロランスは未来を生きようとしてる。

そんな風に見てとれた。

最後に、当時ロランスを学校から追いやった新聞記者のインタビューに
ロランスが答える場面がある。
普通なら嫌がる話だがロランスは堂々と記者の質問に答えを返す。

それはトランスジェンダーが肩身の狭い時代では無いことを意味している様に思えた。
この映画のもう1つのキーは時間だ。
時代背景があるからこそ、そこまでの差別があり
時代と共に自由でいられると言うことのように思える。

ほんと良き時代になったものだ。

そんな記者とのやりとりの最中、ロランスは外の海辺に懐かしい人影が見る
ロランスをクビにした校長とその校長と仲の良いもう1人の先生だった。
その光景から察するに2人はできている。


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そう、2人はゲイだったと言うオチだ。

最後のキーはコレ!
マイノリティー同士、助け合うべき存在でなくてはいけないのに
自分の保身の為、平気で切り捨てる者もいると言う皮肉を
グザヴィエ・ドラン監督は言いたかったのだろうか?

それとも単にゲイだからどうのこうのではなく人間の本質としてなのか?
でもこれだと映画としては何のひねりも無いね

私もよく分らなかったのだが、
LGBT「レズビアン」「ゲイ」「バイセクシュアル」「トランスジェンダー」
(心と体の性が一致しない)の英語の頭文字をとった総称だ。
これはマイノリティー同士、助け合おうがテーマになっている。

が、実際そうなのだろうか?

実は、LGBTの中で軽視されているものがある。
その中で最も蔑視されている存在がトランスジェンダー
つまりは性同一性障害者であるらしいのだ。
(監督へのインタビュー記事で発覚、知らなかった・・・ほんとなの?)

マイノリティーとして仲間と思われていないし、
仲間と思いたくないと思うLGBな人もいるってことを
グザヴィエ・ドラン監督はここまで掘り下げて作品を作ったことになる。

日本ではあまり感じないと言うか・・・そう言うものなの?

いや、何て凄い人だ。

話を戻そう
そんな甘い男達のやりとりを鏡越しに観ていたロランス、
彼はニヤりと笑った。

何と言うか、フンって感じの笑い方かな
彼に取ってクビにした彼らは所詮、もうその程度だってことなんだと思う。

そして、未来に向け生きようとするロランスの話はこれで終わる。

その後、ロランスとフレッドの最初の出会いが
エンディングで流れるのだが、
それがまた初々しい感じで描かれている。
その情景があまりに新鮮でもの悲しさを誘う。

そして話は終わる。

何と言うか、最後に胸がキュンとさせられた映画だった。



余談:
この映画のサブキャッチ『スペシャルな愛』の結果
上手くいかなかった事例がこの映画だとしたら
自分達は今も上手くいっている事例なのかな?

これを『特別な愛』と言うのなら唯一の成功例なのかもしれないね 笑)
(なんて日本でも我々みたな夫婦は大勢いると思う)

『スペシャルな愛』

言葉から感じる安っぽさではなく
そもそもが違う意味合いなんだろうね



この監督の凄い所は、経験した事も無いのによくここまで描けたと言うこと、
だってこの話の材題は、前の自分の映画でスタッフだった1人の女性の
実際の経験談によるものだ。

その心情を汲み取り、気持ちを上乗せして作られたのが
この『わたしはロランス』らしい。

何でも、こんなカミングアウトを旦那に言われた伴侶はどう思うのだろう?
そこがこの作品造りのキーになっている。
それがそのままフレッドの心情に繋がっていて、その通りと私の妻が言う程
この監督は、人の心理描写をも手中に捉えている。

それにしてもあまりに人生経験が豊富な一面を持っている。

本当に24歳なのか疑問に思う程、良く出来た作品。
良い意味で裏切られた映画です。




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ぼくのバラ色の人生 (女の子になりたかった夢見る少年の物語)

保管No.398:2013年 1月 13日 (日)
Category:Milk Espresso is Caffè Macchiato ♡


ぼくのバラ色の人生 (女の子になりたかった夢見る少年の物語)
映画鑑賞


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ここまで自分に正直に生きれるって何て幸せな子供なんだ。
これがこの映画を観てはじめに思ったこと。

自分の"少年"時代とつい比較してしまった。

ぼくのバラ色の人生(フランス映画) 1997年 カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭
グランプリ受賞。

<概要>

いつか女の子になりたいと夢見る少年とその一家が、
周囲の偏見に苦しみながらも懸命に生きてゆく姿を描くヒューマンドラマ。

はじめは『アメリ』を想像させる映画と思っていたが、
もっとリアリティのある社会に問いかけた作品に仕上がっている。

主人公の少年リュドヴィクの夢は、女の子になる事。
最初は家族の変わり者としての位置付けが
次第にエスカレートし町中を巻き込んだ騒動に発展する。
田舎町にありがちなストーリーだが、
中身は思っている以上に真剣な作りになっている。
しかし、こんなにも露骨に周りに自分は女の子とアピールする子供は普通いない。
周囲の目もここまでやって気にならないなんてありえないと思えるシーンも多いが、
偏見に満ち満ちた部分も数多く見られこの境に曖昧さを感じる。
安っぽい少年のほろ苦い思いでだけにしては少々重い作品になっている。

<リュドヴィクと自分を比較して観る>

主人公と同じ様な歳で同じ様に悩み苦しんでいた。
主人公が母と姉の化粧や衣類を身にまとった姿は、
自身の少年期とオーバーラップするものがありとっても胸が苦しくなった。

ちょっとした悪さをして主人公が罰として髪の毛を切らされた時、
自身もちょっとした悪さをして親に頭を丸坊主にされた悪しき記憶が蘇った。
たぶん同じ気持ちだったと思う。

主人公の子供は周囲をこれでもかと言わんばかり巻き込んで行く。
映画の見せ場を考えれば当然なんだろうと思うが、
ちょっといくらなんでもやり過ぎ感がある。
でもそれだけに主人公の気持ちが手に取る様に分り肌身に感じてしまう。

無慈悲にも親の"一般的教養と常識"が思念として入って来る。
周りの意見も大して変わらない。
頭がおかしな子。
口に出さなくとも誰しもが思う事。
マイノリティーに寛容な世の中ならこういった子の悩みは少なくなるはず。
親はそんな子供を認めたくないと感じる。
受け入れるまではどの家庭もその過程において時間が掛かるものだ。

アイデンティティー(自己同一性、自分らしさ)を認める社会性、
これは個人だけでどうあがいてもどうにもならないこと。
とは言え、徐々にだが世の中は開けていることが分る。
自身が過ごした少年期と今の子では雲泥の差がある。
私にしてみれば随分と住み易い世界になったと思う。

でもきっとまだまだなんだろうね

話を戻そう。
大事なのは家族がどうあるべきか、
それがこの映画のメインストリームだろう。
こういった子供とどう触れ合うべきか、
当事者達ではなく逆を言えば多数派(ヘテロセクシャル)が
考えさせられる映画とも言えよう。

当事者にとってはとても切なくほろ苦い映画。
作品として強引と思える部分も多いが全体的にまとめっていると思う。
考えさせられると言うより肌で感じて欲しい映画だ。





 
 
テーマ : GID-性同一性障害  ジャンル : 心と身体

Category: 映画鑑賞(GID)

Tags: MilkEspresso  

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ロバート・イーズ (GIDドキュメンタリー映画)

保管No.396:2013年 1月 11日 (金)
Category:Milk Espresso is Caffè Macchiato ♡


ロバート・イーズ (GIDドキュメンタリー映画)


Southern_Comfort.jpg


性同一性障害をテーマとしたドキュメンタリー映画。
女性から男性へとトランスセクシャルしたロバートと言う男の物語。
英語名、Southern Comfort 同じ酒が売っているがこれとは関係無いだろう。
以下、ネタバレ注意。

見終わって感じた事、心の中で鉛の様に重たい物を感じる映画。
アメリカ南部におけるGIDの実態を見た時、
とても言いようの無い拭いきれない壁の様な物を感じた。

アメリカ南部に住むロバート・イーズ氏、
女性として生を受け、成長の過程で自身が男性だと気づかされる。

一度結婚を経て、子供も設けている。
お腹の中で生命の息吹を感じつつも自身の生き方と葛藤をする。
子供は未だにローバートを母と慕う。
子供にしてみれば当然の事、ロバートは静かに受け入れる。

FTM(♀to♂)として、この展開は珍しいと言えるかは謎だが、
封鎖的なアメリカ南部の風習を考えれば、このての展開は、
考えられなくもな い話とも言える。

そんな親子のやりとりを見ているともどかしくも、
一生懸命さが伝わって来る。
姿形は違えど残る物は記憶の断片にある大切な想い出であり
消せる事の出来ない家族愛なのだ。

だが彼にはもう1つ重要な事があった。

彼はガンに侵されていた。

それは皮肉にも彼が唯一残してしまった女性の部分、
卵巣のガンだった。

普通なら子宮を摘出すれば助かる命であるが、何と彼の住むアメリカ南部では
それが出来ないでいた。
そう偏見や風土的な問題であり、宗教観の理とも言えよう。
彼が住むアメリカ南部の病院では何処行っても手術は『NO』。
受け付けてくれるところはなかった。
医者は、ロバートがトランスセクシャルと知るや掌を裏返し嫌煙したと言う。

これがアメリカの現実、民主国家であるアメリカにも隠された一面はある。

FTMとして切実な問題、乳房切除手術。
アメリカ南部でも手術は可能であるがその内容は目を覆うものがある。
正直、日本人の感覚ならありえないこと。
そんないい加減と知っていたら日本人なら絶対受けないとも思うが、
なぜその土地に拘るのだろう?

拘る理由が分らない。

簡単に過去は捨てられないが、
ここまでされるのならそんな土地の過去など捨てても良いと考えるのはごく自然とも思える。
しかし、彼ら(ロバートと仲間達)はその土地から出ようとしない。
そこまでする意味があるのだろうか?

土地との調和を計る一方で矛盾も多く感じられた。
その地に拘る。
たぶん、それこそがこの映画の本質とも思える。

トランスジェンダーの彼女、ローラとの日々は彼に取って夢の生活である。
彼ロバートの唯一の桃源郷であったろう。
彼女との愛の語らいは、正直オノロケ過ぎる程愛に満ちている。

彼女の前では彼ロバートはナイトであり、彼の前ではローラは唯一の姫君である。

正直、化粧を落としたローラは女性と言うよりおっさんにしか見えない。
これは私自身にも言えることだが、骨格で悩むMTF(♂to♀)誰しもそんなもんだ。
そんな彼女をロバートは心底愛している。
それもとびっきりキューとな女性として見てくれている。

私は心から羨ましいと思った。
こんなにも女として愛してもらえるなんてローラは何て幸せ者なんだろうと
ロバートの男気がとっても熱いと感じた。

彼は日に日に衰えて行く1年もの間、彼を追い続けたカメラは
春から夏、そして秋に変わり冬に入った頃には終焉を迎えた。

ロバートとローラが最後に抱き合ったショットがとても印象的だ。

見終わった時、とても言いようの無い重たいものを感じたが、
反面ローラの愛に見守られ看取られたことは最高とも思えた。

ロバートは幸せ者だ。
そう言ってあげたくなる映画・・・ロバート・イーズ。








テーマ : GID-性同一性障害  ジャンル : 心と身体

プロフィール

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Author:milk
私はいろんな混ぜ物で造られた飲み物です。パーツはいたって単純、加えるだけではなく減らしたりして今の造形になりました。美味いか不味いかは人それぞれ、まずは一口味わってみてください。
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